“喘息の山羊”

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中年期に差しかかるということ

この実験的記事を描いてみようと思った僕の原体験をお伝えしたいと思います。

以前、関東近郊のとあるテーマパークに行ったとき、動物たちと触れ合うコーナーがあって、そこでたまたま山羊を見たんです。動物の、普通の山羊です。

彼は走ってもいないのに、息も絶え絶えに呼吸を荒げていました。通りすがりの私は彼と目が合ってしまい、思わずたじろぎました。

山羊の目というのは、近くで見ると、まるでマイナスドライバーのような形をしているのですが、それはもうものすごい迫力だったというか、何かを訴えているような気がしたんです。

そんなに若い山羊ではないということは何となくわかりました。となりに設置された小屋と、周辺を取り囲む十数平方メートルの柵が彼の残りの人生のすべてなのでしょう。

いつだか、「発した言葉は、相手のもの」、という話を聴いたことがあります。これは、誰かの口から出た言葉というのは、それを発した誰かのものではなく、それを聴いた相手がどう感じとるか、という意味です。

仮にもう少し踏み込んだ解釈を試みるとして、誰かが発した雰囲気や“すごみ“なんかも相手のものだったとしたらどうでしょう。

そしてこの記事に辿り着いたあなたがもし、この山羊に言葉の吹き出しをつけるなら、どんな言葉を書き込みますか。よく漫画に出てくるセリフの吹き出しのことです。

「いますぐ水をくれ」でしょうか。

それとも「ここから出してくれ」でしょうか。

僕がその時つけた吹き出しは、

「通りすがりのあなた、どうか、私のこの惨めな人生を早く終わりにさせてくれ」

でした。

この若くはないであろう山羊を通して、中年期に差し掛かった僕のごちゃごちゃした心の状況を見てしまったのでしょうか。

あれから数年経ちましたが、「彼」は今頃どうしているのでしょう。あのまま柵の中でとっくに死んでしまったのでしょうか。僕はそれ以来あのテーマパークにはいっていません。

現代日本を生きる中年世代たちは「彼」のように、見えない柵の中で、浅い呼吸で喘いでいると言えないでしょうか。

もっとも、山羊に喘息という疾患が存在するのかまでは知りません。僕には小児喘息の持病があったので、このような表現になってしまいました。

「氷河期世代」

これからご紹介していく記事は僕の置かれた状況や経験をもとに解説を試みるため、本記事を特に読んでいただきたい“対象者”について、あえて大胆なターゲティングを試みたいと思います。

タイトルに描いた通り、概ね中年期に差し掛かった世代、それも就職時に採用が極度に絞られたいわゆる「就職氷河期世代」またはそれに近い年代の方で、主に企業などの組織に被雇用者として勤めるいわゆるサラリーマンの方。

人生を変えようと何度か生活改善を試みたが、うまくいかなかった経験を持つ方。年齢を重ねる中、人生に希望を見出すことができず、自分の精神的な居場所がないと感じている方。

人生をコントロールできず、本当にやりたいことや自分の気持ちに何年も蓋をして生きてきた方。

社会や他人が決めた成功に縛られて、自分の目指す成功に向けて動き出すことができずに立ち止まっている方。

忙しい日常を懸命に生きる中、人生の軸を見失い、心のやすらぎを感じられない方。

幸福感を得たいと強く想っているが、人生の長期的なビジョンを描く余力のない人・・・。概ねこのようなものですが、いかがでしょうか。いくつか当てはまりますか。

もちろん、僕はずっとこれらに苛まれてきた一人です。様々な資料に触れ、独自に社会情勢を観察するうちに、そこには後述するような構造的な問題が存在することがわかってきました。


時代に翻弄され、傷つき、それでも厳しい日常を生き抜いてきた、自分の人生を生きられない「氷河期世代」の意識を掘り下げ、これからご紹介していく生活改善その他の方法により人生の“余白”を取り戻していただくため記事になれば幸いです。

“諦める”

“諦める”というワードに肯定的なイメージを持つ氷河期世代は少ないと思います。

これは世代に関わらず、日本の家庭・学校教育ではどんな逆境においても最後まで諦めずに偉業を達成した無数の“苦労物語”を刷り込まれてきたためです。

確かに僕たち大人にとって、やることが山ほどあると言うのは間違いないことでしょう。

しかしながら、毎日の義務的な作業や休息を繰り返す中、限られた時間でなんとか努力して人生の改善を試みたとき、僕たち大人にどれほどの作業時間が残されているでしょうか。

いつの間にか中年となった僕たちは、学校教育で植え付けられた完璧主義や習慣・考え方を手放し、人生の目標や生き方を再構築する時に差し掛かっているように思えてなりません。

後の記事でお伝えしていきますが、これが僕の提案する“諦め”の定義です。

心の“雪解け”

後に解説していきますが、自分の人生を生きるということは、他人軸に偏った人生観を極力減らし、あなた独自の人生の価値観を構築し、「何になるか」よりも「どうありたいか」を明確に定義づけること、それはつまり人生の“操縦桿”をあなたの手に取り戻すことだと考えています。


自分の価値観と言動が一致した人生を見出すことができたら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。
それはカッコイイものでなくとも良いはずです。
そしてそれは少なくともいやいや続けていることの先には存在しないはずです。
あなたが生きて、活動する理念はどんなものですか。
ぼんやりとでも、答えはあなたの中にすでに存在していませんか。

もちろんお金持ちになるとかいい暮らしをすることなどは、僕もあなたもひとつの目標かと想像します。

ただ、経済的に成功して、美味しいものをたくさん食べて豪遊三昧の日々を送ることはあなたの人生の最終目的でしょうか。

これは僕の想像ですが、どうやらほとんどの人は私利のためだけには頑張れないようにできているのではないかと思うようになりました。
他者の成功や幸福感をサポートすることが、同時に自分を癒している。

つまり、どれだけ人を幸せにできるか、そのことにどれだけ喜びを見出せるかということに帰結するような気がしています。

僕はそれを思い描いている中、この記事を作成しています。
きっとそのひとつは、僕たち「氷河期世代」一人ひとりが未来への希望を取り戻し、日本の未来を明るいものにするような、そんな世界をイメージしています。

そのためにはまず、不遇の世代として生き延びるために“心を凍らせ”て、歯を食いしばって生きるしかなかったあなたの心を溶かす作業が必要になります。
そしてそんな“心の雪解け”を多くの「氷河期世代」に届けることができたら・・・。

僕はこの“心の雪解け”の過程を「アイスエイジ・メルトダウン」と呼ぶことにしました。

一般に「メルトダウン」とは、3.11地震以降、核燃料が過熱により融解してしまう恐ろしい現象をさすものとして有名になりましたが、ここでは文字通り“氷河期”の氷が溶けることをイメージして名付けてみました。
そのくらいの衝撃が起こることを心から望んでいるのです。

最終的には僕も力をつけ、未来への希望が見いだせない多くの「氷河期世代」の、心の奥底に残った灯に柔らかい風を送り込みたいと強く願っています。
自分や社会への猜疑心で凍りついたあなたの心を溶かすことができますように。
確かに青臭くて滑稽かもしれませんが、僕はこのひとつの目的は“諦めません”。

nagiと申します。

よろしければお付き合いください。

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